「酒で照れが消える」は、自分を偽る行為かもしれない──自己肯定と“素の自分”を見つめ直す

はじめに
「酒が入ると明るくなる」「飲まないと話せない」──そんな言い訳のような言葉を、僕自身、かつて何度も使っていました。
飲み会でのテンションの高さや、普段は言えないことを口にできる感覚。「照れが消える」「緊張がほどける」など、酒に頼ることで“自分らしく”いられると思い込んでいたのです。
けれど、断酒をしてみてわかったのは、それが“自分らしさ”ではなく“酒が作ったもう一人の自分”だったということ。
今回は、「照れを消すために酒を飲む」という行為について深堀りし、それがいかに自分を偽る行為だったのか。そして、断酒後に得られた本当の意味での自己肯定感についてお話しします。
酒の力を借りて“自分を演じていた”あの頃
酒を飲むと、確かに照れが消えます。饒舌になり、気分が高揚し、普段なら絶対に言えないようなことも口から出てきます。
職場の飲み会や友人との集まりでは、僕もそのテンションの高い自分を演じていました。どこかで「ウケたい」「嫌われたくない」「空気を読まなきゃ」という思いが先行していて、本音で人と向き合うのが怖かったのかもしれません。
しかしその裏には、毎回決まってやってくる反省と後悔がありました。
「あの発言、まずかったかな……」 「笑ってはいたけど、内心引かれてたかも」 「あれは“本音”ではなく“酔ってたから”ってことにしておこう」
このように、飲んだ後に自分を振り返る時間がとにかくしんどかった。
実体験:酒の勢いで言いたいことを言いすぎた夜
ある職場の飲み会で、普段なら言わないような仕事への不満や上司への批判を酒の勢いで話してしまった夜がありました。場は盛り上がり、一見ウケていたようにも思いましたが、翌朝の自己嫌悪と不安感は尋常じゃなかった。
「なんであんなことを言ってしまったんだ」
記憶が曖昧なまま、気まずさだけが残る翌日の出社。直接指摘されたわけではないけれど、どこかで「あの人は酔うと本音が出るから注意したほうがいい」と思われている気がしてならなかった。
今思えば、あの時の“本音”も、自分の内側を整理できていなかったからこそ、暴力的に飛び出した未熟な思考だったのだと思います。
「シラフじゃ言えない本音」は、言う準備ができてないだけ
酔うことで照れが消えると同時に、理性も一緒に消えてしまう。
つまり、言いたいことを伝える力ではなく、“言ってしまう”だけの状態になるのです。
そしてそれは、多くの場合、対人関係に亀裂を生む危険すらあります。仮にそれが本性だとしても、それをそのまま出すのが“素直”とは限らない。出すべきタイミングと方法があるし、相手への配慮が必要です。
本音を言えない自分=ダメ、ではない。
むしろ“まだ言う準備ができていない”というだけで、それを無理に酒でこじ開けようとするから、あとで自己嫌悪に陥るのです。
自己肯定とは「素の自分を認めること」
断酒をしてから、自分と向き合う時間が増えました。言いたいことがあるとき、自分の中でしっかり整理し、伝える準備ができたときに言葉にする。
それができるようになってから、コミュニケーションでの不安が減りました。
酔って爆発的に感情を吐き出すのではなく、シラフで静かに、自分らしい言葉を探して伝える。
それが本当の意味での「素の自分」だと今は思えます。
「酔わなきゃ言えない」状態を、自己肯定の欠如と捉えるなら、断酒は自己肯定のリハビリでもあります。
おわりに:もう偽らなくていい
僕はもう、酒の力を借りて自分を大きく見せたり、無理して盛り上げたりする必要はなくなりました。
もちろん、今でも照れることはあるし、人付き合いが得意なわけでもありません。でもそれでいい。
そのままの自分でいることが、何よりもラクだから。
飲酒に頼らずとも、少しずつ本音を出せるようになる。その小さな成功体験の積み重ねが、確かな自己肯定へとつながっていくのだと思います。