「それ、本当にビールじゃないとダメですか?」──飲酒の“刷り込み”に気づいた僕が手放したもの

ビールが飲みたくなる瞬間って?
仕事終わりに唐揚げとビール。
夏の夕暮れ、ベランダで缶ビールをプシュッと。
汗をかいたあと、キンキンに冷えたジョッキで「とりあえず一杯」。
そんな場面に憧れを抱いたことがない人は、少ないと思います。僕もその一人でした。
でもある日、ふと立ち止まったんです。
「本当に俺、ビールが飲みたいのかな?」って。
本当に体が欲しているのは?
ビールを飲みたくなるタイミングって、だいたい“喉が渇いたとき”じゃないですか?
でも、その「渇き」を感じているのは、体です。
体が本当に求めているのは――水分補給。
ビールって水っぽくて、喉ごしがいいから、誤解しやすいんですけど、
実はアルコールには強い利尿作用があります。つまり、飲めば飲むほど脱水が進むんです。
喉がカラカラのときに飲むべきは、水。
それなのに、なぜ僕たちは「ビールだ!」と思ってしまうのか。
刷り込まれた“イメージの魔法”
たぶん、その答えは「習慣」や「本能」じゃなくて――
刷り込みなんだと思います。
テレビCM、SNSの投稿、ドラマのワンシーン。
かっこいい俳優やアイドルが、油っこい料理をビールで流し込んで、「くぅ~っ!」ってやってる。
それを何度も何度も見せられてきた僕たちは、
「唐揚げにはビール」「焼肉にはビール」
そんなイメージが、脳に刻み込まれてしまっているんです。
いわば、「ビールを飲むことで完成される快感」みたいなもの。
でも、それって実際の体の欲求とは、全然関係ない。
“飲みたい”は、本当に欲求?
たとえば、普段あまりお酒を飲まない人と一緒に食事してみてください。
唐揚げを食べたあと、その人が「水でいい」と言ったとき、びっくりしませんか?
でも、それが本来の自然な姿なんですよね。
「ビールじゃなきゃ!」と思っていたのは、脳の勘違いだったのかもしれない。
もっというと、「飲むことになっている」という設定の中で生きていただけかもしれない。
「やめる」ではなく「もういらない」と思えた瞬間
僕は今、断酒生活を送っています。
はじめは「やめるぞ!」と気合を入れていたけれど、ある時期から少し考え方が変わりました。
「ビールが飲みたい」→「…いや、別に水でいいや」
「飲み会だから飲む」→「今日はウーロン茶にしよう」
こういう選択が、自分の中で自然になってきたんです。
無理してやめるんじゃない。
“刷り込み”から自由になっただけ。
結論:ビールは必要ない。欲しいのは“快感”だけ
ビールが欲しいと感じるのは、
「のどの渇き」と「イメージの演出」が、脳内で結びついただけの錯覚です。
あなたの体は、本当は「水でいい」と知っている。
でも脳が「ビールの方が気持ちいい」と、昔のCMの記憶で錯覚してる。
じゃあその幻想に、今日も振り回され続けますか?
“やめる”というより、“もういらない”。
そう思えたとき、断酒はずっとラクになる。
僕はもう、あの手のCMを見てもこう思うようになりました。
「おいしそうだな」じゃなくて、
「うまく刷り込んでくるな〜」って。
最後に:その一杯、本当に必要ですか?
もしあなたが「やめたいのに、やめられない」と悩んでいるなら、
今日の飲みたさも、少し立ち止まって考えてみてください。
「これは本当に飲みたいのか?
それとも、飲む流れに乗っているだけなのか?」
その問いに対して「水でいいかも」と思えた瞬間、
あなたの中で、何かが大きく変わるはずです。