「楽しかった飲み会」の正体──飲酒と記憶の美化に潜む落とし穴

「あのときは楽しかったな」
ふとした瞬間に、過去の飲み会の記憶がよみがえることがあります。
同級生との再会、仕事帰りの一杯、正月の親戚の集まり──どれも酒があり、笑い声があり、あたかも“幸せな時間”のように思い出されます。
美化されがちな飲酒の記憶
人間の記憶は都合よくできています。楽しいと感じた一部の場面だけをピックアップし、それ以外の不快な部分や後悔の記憶をスキップしてしまうことがよくあります。飲酒の記憶もまた、その典型です。
僕自身も、「あの飲み会は楽しかった」と思っていたのに、日記を見返すとその後に自己嫌悪で落ち込んでいた記録があることに気づきます。
実体験①:楽しいはずが翌朝の恐怖
楽しいはずだった飲み会の次の日、毎度毎度の自己嫌悪。
記憶が飛んでて恐怖で、休日をリラックスできずに過ごした日々が何度もあります。
笑っていた記憶と、曖昧な記憶の隙間に潜む「不安」。それが積もり積もって、自分を嫌いになる時間がどれほど多かったことか。
実体験②:「盛り上がってるふり」だったのかも
今考えたら、楽しかったんじゃなくて“酒でバカになって盛り上がってるふり”をしてただけかもって思う瞬間、けっこうあります。
あの頃の僕は、誰かに合わせて笑い、無理にテンションを上げて、盛り上がっているように振る舞っていただけかもしれません。
美化された思い出の代償
美しい思い出のように錯覚していた時間の裏側には、必ずと言っていいほど「自己嫌悪」「体調不良」「時間の浪費」がセットになっていました。
飲み会の翌日は朝から頭痛、胃もたれ、そして「あの発言、大丈夫だったかな」という不安。楽しいはずだった時間が、結局は“自分をすり減らす時間”だったと気づいたのは、断酒を始めてからです。
過去を否定しない。でも、見直す
もちろん、すべての飲み会が悪だったわけではありません。心から楽しかった瞬間もあったと思います。ただ、それが「酒のおかげ」と思い込むのは危険です。
本当に楽しかったのか? それとも、酔った勢いで麻痺していただけなのか?
自己肯定感の回復は、“素面の楽しさ”から
断酒してからは、記憶が明瞭で、次の日の体調も良好。そして何より、「自分で自分をコントロールできた」という実感がある。
アマゾンプライムで映画を見ても、ゲームをしても、シラフで楽しめばすべて合格点。
他人のペースではなく、自分のペースで心地よい時間を過ごせることが、こんなに幸せなことだとは、以前は気づきませんでした。
まとめ:楽しい記憶の再評価から始まる、新しい自分
過去を否定するのではなく、見直すこと。
「楽しかった飲み会」の正体を見つめ直し、自分にとっての“本当の楽しさ”とは何かを探っていく。それが、断酒という選択の価値だと、今ははっきり言えます。
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