まだ酒で人生を消耗しますか? 51歳で断酒して気づいた「アルコールという足枷」の外し方
「酒をやめた」 そう言うと、同年代の友人たちは決まってこう返してくる。「どうした? どこか体でも悪くしたのか?」
どうやら世間では、50代の断酒=ドクターストップという図式が出来上がっているらしい。
正直に白状しよう。僕が断酒を決意した最初のきっかけは、確かに「健康」だった。
51歳になり、健康診断の数値が気になり出したのは事実だ。「このまま飲み続けたらマズイかもしれない」。そんな恐怖心がスタートラインにあったことは否定しない。
だが、あえて言わせてもらいたい。僕が今も酒を飲まずにいられる理由は、健康のためではない。
「健康のため」という動機だけでは、人生が死ぬまでの「我慢大会」になってしまうと気づいたからだ。
今日は、健康目的で始めた僕が、なぜ「我慢」を捨てて「楽しみ」としての断酒にシフトできたのか。そして51歳にして気づいた「酒を飲まないことの圧倒的なメリット」について話をしようと思う。
「健康のため」だけだと、断酒は「苦行」になる
多くの人が断酒に挫折するのは、動機が「健康のために我慢する」という一点張りだからだ。
僕も最初はそうだった。「肝臓の数値を良くするために、大好きなビールを我慢する」。このマインドセットでいる限り、酒は「我慢して遠ざけるべきご褒美」であり続ける。
これでは、日々が「飲まないための戦い」になり、ストレスが溜まる一方だ。人生の残された時間を、そんな我慢の連続で消費したくはない。
そこで僕は考え方を変えた。「健康になる」はあくまでオマケ。真の目的は、「人生のパフォーマンスを下げている『足枷』を外して、もっと楽しく生きる」ことだと。
酒は「楽しみ」ではなく「消耗」だった
若い頃、酒は確かに「楽しみ」であり「冒険」の相棒だった。しかし50歳を過ぎた頃から、その関係性は変わっていたのだ。
ある休日の朝の絶望感を、僕は鮮明に覚えている。 重い胃もたれと共に目覚めると、枕元には食べた記憶のないコンビニのジャンクフードやスイーツのゴミが散乱している。
「食事程度で帰ろう」と誓って家を出たはずが、ハイボールをおかわりし続け、財布の中身は空っぽ。昨晩の記憶はおぼろげだが、「なんであんなことを口走ってしまったんだ」という恥ずかしいフラッシュバックだけが鮮明に蘇る。
そして、二日酔いのダメージを引きずったまま、何も生産的なことをせずに週末が終わる。これを何度繰り返したか数えきれない。
人生の折り返し地点を過ぎ、残された時間が有限であると肌で感じ始めたとき、ふと思った。 「俺はなんでわざわざ、金と時間を払って自分のパフォーマンスを下げているんだ?」
それは楽しみなどではなく、ただの「消耗」だった。自ら足首に重い鉄球(足枷)をはめて、「人生重いな、辛いな」と嘆いているようなものだ。
「我慢」ではなく「やりたいこと」を最優先にする
「健康のための我慢」をやめて、「やりたいこと、楽しいことを最優先にする」と決めた途端、自然と酒が邪魔になった。
以前は読書が好きだったが、連続飲酒していた頃は「積読」の山ができていた。酔った脳では文字が入ってこないからだ。 しかしシラフの今、夜のクリアな頭で読書に没頭できる。この知的な快楽は何にも代えがたい。
さらに、地味だが嬉しい変化がある。「夜、車で出かけられる」ことだ。 これまでは夕方になれば即プシュッとやっていたため、僕の夜の行動範囲は自宅内に限定されていた。だが今は、思い立ったらすぐに車を出せる。この自由さは、想像以上に心を軽くしてくれた。
楽しいことに没頭していたら、いつの間にか「酒を飲まない習慣」が身についていたのだ。
足枷を外して手に入れた「3つの資産」
51歳で断酒という名の「足枷外し」を行った結果、手元には驚くべき資産が残った。それは単に「マイナスがゼロになった(健康になった)」話ではない。「ゼロからプラスへ」の爆発的なゲイン(利益)だ。
1. 圧倒的な「時間」と「副業の成果」
シラフの夜と、爽快な朝。これだけで1日あたり数時間の「可処分時間」が増えた。 しかし、ただ時間が増えただけではない。「質の高い時間」が手に入ったのだ。
脳がクリアな状態で副業(ブログやYouTube)に没頭する時間は、酔ってダラダラ過ごす時間の何倍もの密度がある。この時間を投資することで、新たなスキルが身につき、副収入の芽が出る。 時間が資産を生み出し、その資産がさらに自由な時間を生む。人生に「正のレバレッジ」がかかり始めた感覚だ。
2. 自分をアップデートする「資金」
毎晩の晩酌代、惰性の飲み会代。これらが浮いた分は、明確に形に残した。 以前ならトイレに流していた金で、クリエイティブな作業に耐えうるハイスペックPCを買った。
さらに、イデコやニーサの積立額も増額した。 消費(浪費)を、投資に変える。酒としてトイレに流すより、よほど有意義で、未来につながる金の使い方だ。
3. 絶対的な「自己信頼」の回復
実はこれが最大のゲインかもしれない。かつての自分は、酒の席での饒舌さをコミュニケーションだと思っていた。だが、シラフになって冷静に振り返ると、それは幻想だった。
有益な会話だけが必要なわけではないが、酔って喋った内容なんて覚えていないし、覚えていたとしても何のプラスにもならない。むしろ余計な一言でトラブルを引き込むだけだ。
こうした「不毛なリスク」を自ら断ち切ることで、精神的な平穏と余裕を手に入れた。 「昨夜、変なことを言わなかったか?」という微かな自己嫌悪におびえる朝はもう来ない。自分の発言と行動に常に責任を持てるという感覚。
この「絶対的な自己信頼」こそが、50代からの新しい挑戦を支える土台になる。酔っ払って同じ話を繰り返す「停滞した自分」とは、もう決別だ。
どうやって「飲酒という足枷」を外すのか?
最後に、タイトルの回収をしておこう。どうすれば、この重たい足枷を外せるのか。
答えはシンプルだ。「我慢」するのではなく、「上書き」するのだ。
最初は健康への不安がきっかけでもいい。でも、そこから一歩進んで「酒を飲むことよりも魅力的な快楽」で脳を上書きしてしまうのだ。
僕の場合はこうだった。
- 惰性で飲むビールよりも、クリアな頭でブログを書き上げ、アクセスが伸びる快感を選んだ。
- 二日酔いの気怠さよりも、早朝の空気の中で食べる朝食の美味さと、これからの人生への期待感を選んだ。
- 居酒屋の愚痴大会よりも、ハイスペックPCを操り、自分のメディアを作り上げる興奮を選んだ。
50代の僕たちには、もう「なんとなく」で時間を浪費している暇はない。 「酒を飲む」という行為が、自分のやりたいこと、手に入れたい未来に対して「邪魔だ」と本気で認識できたとき、足枷は鍵を使わずとも外れる。
あなたがもし、今の生活に退屈して酒に逃げているなら、無理に酒をやめる必要はない。 まずは「シラフでやりたいこと」を見つけることだ。酒を飲むのが惜しくなるくらい、夢中になれる何かを。
そうすれば気づくはずだ。 「あれ? 俺の人生、酒がないほうが数倍面白いぞ」と。
