酒の代わりの楽しみなんて探さなくていい!孤独と体調不良に怯えた僕が、断酒の覚悟を決めた理由
赤提灯が揺れるのを見ると、パブロフの犬のように足が向く。 暖簾をくぐれば、「いらっしゃい!」という大将の威勢のいい声と、いつもの常連たちの顔。
「いつもの、でいいですか?」 その一言で出てくるビールと突き出し。 僕にとって、そのなじみの居酒屋は、単なる飲食店ではなく、自宅よりもくつろげる「帰るべき場所」でした。
仕事で嫌なことがあっても、ここに来ればリセットできる。 独り身の寂しさも、カウンターで大将と二言三言かわすだけで紛れる。 新しい友達を作るなんて億劫な年齢になっても、ここには「ゆるい繋がり」があった。
しかし、その安らぎの代償は、確実に僕の体を蝕んでいました。
家に帰って鏡を見るたび、ため息が出る。 ベルトの上に乗っかる贅肉、むくんで土気色になった顔、慢性的に重い足腰。 「深刻な病気ではないから」と言い訳をしつつも、心の奥底では気づいていました。
「この心地よいぬるま湯(居酒屋)が、僕の寿命を削っている」
もしあなたが、酒そのものよりも「あの場所の雰囲気」から離れられずに苦しんでいるなら、ぜひ読んでみてください。 これは、なじみの居酒屋という「魔法の居場所」に依存していた僕が、酒の代わりの楽しみなんて探さず、孤独を受け入れて断酒を決意するまでの記録です。
居酒屋という「魔法の居場所」の罠
僕たちが酒をやめられない本当の理由。それはアルコール依存というよりも、「居場所依存」に近いのかもしれません。
「手っ取り早い」人間関係の心地よさ
50代を過ぎて独身だと、新しいコミュニティに参加するのは非常にエネルギーがいります。 趣味のサークル、地域の活動……どれも「素面の自分」で一から関係を築かねばなりません。
それに比べて、居酒屋はあまりにも手っ取り早い。 暖簾をくぐるだけで、そこには仲間がいる。名前も職業も詳しくは知らないけれど、杯を交わせば笑い合える関係。 「今日は飲まない」と決めていても、隣の常連から「お、久しぶり!一杯どう?」と言われれば、断る理由なんて一瞬で消え失せます。
「酒をやめること」=「この人間関係をすべて失うこと」 僕にとって断酒は、社会的な孤立を意味するように思えてなりませんでした。
「深刻ではない」という免罪符
毎日通っているわけではない。休肝日だってたまにはある。 そして、健康診断で即入院と言われたわけでもない。
この「まだ大丈夫」という感覚が、なじみの店への足を軽くさせます。 しかし、現実は残酷です。 居酒屋の料理は旨い。酒が進めば、揚げ物や締めのご飯ものまで食べてしまう。
- 止まらない体重増加: 若い頃のスーツはもう入りません。
- 泥のような朝: 「あぁ、飲みすぎた」という後悔とともに起きる朝の倦怠感。
- 謎の体調不良: どこが痛いわけではないけれど、常に体が重く、疲れが抜けない。
「なじみの店」は僕の心を癒やしてくれましたが、同時に僕の体を確実に壊していたのです。
「酒の代わりの楽しみ」なんて見つからない
健康への不安から、何度か店に行くのを我慢したことがあります。 その時、僕は必死に「酒の代わりになる楽しみ」を探しました。
- まっすぐ家に帰って、映画を観る。
- スポーツジムに入会してみる。
- 家で高いお茶を淹れてみる。
でも、正直に言います。どれも長続きしませんでした。 なぜなら、どの楽しみも「居酒屋のカウンターで飲む生ビールの高揚感」と「大将との会話の温かみ」には勝てなかったからです。
家に一人でいると、ふとした瞬間に孤独が襲ってきます。 「今頃、店は盛り上がってるだろうな」 「あいつ、来てるかな」 そんな想像が頭をよぎり、結局、「ちょっと顔出すだけ」と自分に言い訳をして、また暖簾をくぐってしまうのです。
覚悟を決めた瞬間:それは「友情」だったのか?
転機は、風邪をこじらせて1週間ほど寝込み、強制的に店に行けない期間ができた時に訪れました。
熱にうなされながら、天井を見上げて考えました。 「僕がもし、体を壊して二度と酒が飲めなくなったら、あの店の人たちは友達でいてくれるだろうか?」
答えは、残酷ですが「No」に近いものでした。 もちろん、心配はしてくれるでしょう。でも、ウーロン茶をすする僕と、酔っ払った彼らの話は噛み合わなくなる。 あの場所は、「酒」という共通言語があって初めて成立する場所だったのです。
僕が恐れていた「孤独」は、店に行かなくなることで訪れるのではなく、「酒がなければ繋がれない関係にしがみついている」今の状態こそが、真の孤独なのではないか。 そう気づいた時、初めて「行かない覚悟」が決まりました。
「代わりの楽しみ」を探すな。ただ「家に帰る」だけでいい
そこからは、思考を変えました。 「酒の代わりの楽しみ」を見つけてからやめるのではない。 「なじみの店に行かない」という空白の時間そのものを受け入れることにしたのです。
帰り道を変える
物理的な対策として、店の前を通らないルートで帰宅するようにしました。 赤提灯の光を見なければ、誘惑は半減します。
「寂しさ」を「静寂」と言い換える
まっすぐ帰宅した部屋は、確かに静かで寂しいです。 でも、それは「仲間はずれの寂しさ」ではなく、「誰にも邪魔されない自由な静寂」です。
店に行けば数千円が飛び、余計なカロリーを摂取し、翌朝の後悔を買うことになります。 しかし、家にいれば、金も減らず、体も休まる。 手持ち無沙汰な時間は、炭酸水を飲みながら、ただぼんやりと過ごす。 「暇だなぁ」と独りごちるその時間こそが、長年酷使してきた肝臓と胃腸への、何よりのプレゼントだと考えるようにしました。
本当の友達は「酒なし」でも会える
もし、本当に気が合う友人が店にいるなら、休日の昼間に「メシでも食わないか」と誘えばいい。 それで断られるようなら、それは「酒友達」であって「友人」ではなかったのです。 そう割り切ることで、人間関係への執着が驚くほど軽くなりました。
居酒屋を卒業して手に入れたもの
なじみの店に行かなくなって数ヶ月。 僕の体には劇的な変化が起きました。
1. 驚くほど体が軽い
体重が落ちたこともありますが、何より「疲労感」が違います。 朝、目覚ましが鳴る前にスッと起きられる。階段を駆け上がれる。 「51歳、まだまだ動けるじゃないか」 この自信は、どんなに旨い酒よりも僕の心を明るくしました。
2. お金と時間の余裕
毎晩のように消えていた数千円が手元に残ります。 そのお金で、ずっと欲しかった少し良い靴を買いました。 その靴を履いて、週末の朝、散歩に出かける。 夜の酒場以外にも、世界にはこんなに気持ちのいい場所があったんだと、今さらながら知りました。
その暖簾をくぐらなくても、あなたは大丈夫
なじみの店に行かなくなることは、裏切りではありません。 自分の人生のフェーズが変わっただけです。
「酒の代わりの楽しみ」なんて、今はなくていい。 ただ、まっすぐ家に帰り、静かな夜を過ごしてみてください。
最初は、店の賑わいが恋しくなるでしょう。孤独を感じるでしょう。 でも、その孤独の先には、「酒や他人に依存しなくても平気な、自立した自分」が待っています。
51歳。人生の後半戦は、誰かと酔っ払って管を巻く時間ではなく、クリアな頭と健康な体で、自分自身を大切にする時間に使いたい。 僕は今、心からそう思っています。
今夜は、赤提灯を背にして、まっすぐ家に帰ってみませんか? 大丈夫、素面の夜も、意外と悪くありませんよ。
