【禁酒体験談】飲んだ後に後悔しない日は、本当に一日もなかった。絶望のループから抜け出した日のこと。

はじめに。かつての私と同じように、苦しんでいるあなたへ
この記事は、華々しい成功体験を語るものではありません。 これは、どこにでもいる、お酒が好きで、でもそれ以上に自分を嫌いになりかけていた、ひとりの人間の正直な告白です。
「今日こそは絶対に飲まない」
そう誓ったはずの夕方、気づけば当たり前のように缶を開けている。 飲んでいる間は楽しいはずなのに、眠りにつく頃には不安が胸を占め、翌朝は鉛のように重い後悔と共に目覚める。
もし、あなたがこの言葉に少しでも心当たりがあるのなら。 どうか、もう少しだけ、私の話に付き合っていただけないでしょうか。これは、暗闇の中でもがいていた私が、ほんの少しの光を見つけるまでの、不器用な物語です。
記憶のない夜と、自己嫌悪だけの朝
私の毎朝は、絶望から始まっていました。 目覚ましが鳴るより先に、ズキズキと痛む頭と、胃の不快感で目が覚める。ぼんやりとした頭でまず考えるのは、「昨日、私は一体どれだけ飲んだんだろう?」ということ。
恐る恐るスマートフォンのロックを解除し、LINEの送信履歴やSNSの投稿を確認する日々。誰かに失礼な連絡をしていないか、支離滅裂なことを書き込んでいないか。そのスリルと不安は、日々の小さなストレスになっていました。
「今日はやめよう」と、本気で思っていた日もありました。 仕事が順調だった日。誰かと喧嘩したわけでもない、穏やかな日。そんな日ですら、夕暮れのチャイムがまるで飲酒開始のゴングのように聞こえ、気づけば私は「頑張った自分へのご褒美だから」なんて言い訳をしながら、グラスを傾けているのです。
飲んでいる最中の、あの高揚感。 「まあ、これくらいならいいか」と自分を肯定し、すべてを許せるような、あの万能感。 でも、それはあまりにも短く、儚い魔法でした。
魔法が解けた翌朝に残っているのは、空っぽの虚しさと、「またやってしまった」という自分への強烈な嫌悪感だけ。何もしていないのに、一日が始まる前からもう疲れている。
飲んだ後に「ああ、昨夜は飲んで心から良かった!」と思えた朝なんて、本当に、思い出せる限り一度もありませんでした。
失っていたのはお金だけじゃなかった。私が本当に手放していたもの
ある日のことでした。 飲み過ぎた翌朝、いつものように重い体を引きずって洗面所へ向かい、鏡に映った自分の顔を見て、私は凍りつきました。
そこにいたのは、自分が思っていたよりもずっと老けて、くすんで、疲弊しきった女の顔。目の下のクマは深く、肌は潤いを失ってカサカサ。輝きなんてどこにもない、生気のない瞳。
「…誰、これ?」
思わず、声が漏れました。 その瞬間、頭を殴られたような衝撃が走ったのです。
私がお酒と引き換えに失っていたのは、毎月の数万円のお金や、二日酔いで無駄にする週末の午前中だけじゃなかった。
私は、自分自身の「時間」と「未来の可能性」、そして何より「自分を大切にする心」そのものを、毎晩ドブに捨てていたんだ。
このままじゃダメだ。 このままこの生活を続けたら、私は取り返しのつかないものを全て失ってしまう。 心の底から、初めてそう思いました。それは意志の力とかではなく、生存本能に近い、悲鳴のような感覚でした。
私の、不器用な挑戦の始まり
「よし、今日から断酒だ!」 そう意気込んでも、長年の習慣はあまりにも強敵でした。夜になると、ソワソワして落ち着かない。口寂しくて、何か刺激が欲しくなる。
そこで私がまず始めたのは、「敵を知る」こと。つまり、自分がどんな時に飲みたくなるのかを、正直にノートに書き出してみる、という作業でした。
- 仕事で疲れた時
- 嬉しいことがあった時
- 夕食の準備をしている時
- ただ、手持ち無沙汰な時
書き出してみて、我ながら呆れました。私は、どんな状況でも飲む理由を見つけ出していたのです。
この「飲みたい私」と戦うのではなく、どうにかして機嫌をとって、別の方向へ向かせることはできないか。そう考えて、私が試したいくつかのことを、ここに正直に書いてみます。
- 炭酸水とレモンを常備した これは、想像以上に効果がありました。缶を開ける「プシュッ」という音と、喉を通る炭酸の刺激が、ビールを飲みたい欲求をかなり紛らわしてくれたのです。お風呂上がりの一杯を、キンキンに冷えた炭酸水に変えることから始めました。
- 「夜の楽しみ」を新しく作った お酒を飲んでいた時間を、別の「ご褒美タイム」にすることにしました。普段は我慢していた少しお高めのアイスクリームを用意したり、見たかった映画をリストアップしておいたり。飲みたい気持ちが湧いてきたら、「いや、今夜はあのアイスが待っている」と言い聞かせるのです。
- とにかく早く寝た 一番シンプルな方法ですが、これも有効でした。飲みたい誘惑が出てくる夜9時や10時になる前に、さっさと歯を磨いてベッドに入ってしまう。物理的に飲酒の時間をなくす作戦です。最初のうちは寝付けませんでしたが、その分、翌朝の目覚めは格段に良くなりました。
こんな風に、まるで幼い子どもをあやすように、自分の欲求と向き合う日々。一日、また一日と、「飲まない夜」を積み重ねていく。カレンダーに花丸が増えていくのが、唯一のプライドでした。
100日目の挫折と、そこから見えた本当の光
私の挑戦は、驚くほど順調に見えました。 体重は少しずつ減り、肌の調子も明らかに良くなってきた。何より、朝、自己嫌悪で目覚めないことが、こんなにも素晴らしいことだなんて。
そして、ついに断酒100日目を迎えたのです。 大きな達成感と自信に満ち溢れていました。「もう、私は大丈夫だ」と。
―――その夜、私はお酒を飲んでしまいました。
友人との食事の席で、「100日達成おめでとう!一杯だけならいいじゃない」という言葉に、固いはずだった決意が、いとも簡単に崩れ去ったのです。
「一杯だけなら」
その一杯が、二杯、三杯となり…。 翌朝、私はここ数ヶ月忘れていた、あの地獄のような後悔のど真ん中で目を覚ましました。
終わった。 私の努力は、全て水の泡になった。 自分は、なんて意志が弱く、ダメな人間なんだろう。
涙が止まりませんでした。もう一度立ち上がる気力なんて、どこにも残っていませんでした。
でも、数日間どん底の気分で過ごした後、ふと思ったのです。 「本当に、全てが無駄になったんだろうか?」
確かに、昨日は飲んでしまった。でも、その前の99日間、私は確かにお酒を飲まずに過ごすことができた。その事実は、消えないじゃないか。
その時、私はやっと気づいたのかもしれません。 この挑戦は、一度も失敗してはいけない完璧なレースじゃないんだ、と。 転んだっていい。泥だらけになったっていい。また立ち上がって、一歩前に進めば、それは決して後退じゃない。
スリップしたあの日を「失敗の日」ではなく、「大切なことを学んだ日」と捉え直すことにしました。この挫折が、私を本当の意味で強くしてくれたと、今ならはっきりとわかります。

ここだけの話、この100日挫折。2回繰り返してます。泣ける。
おわりに。後悔のない朝が、私に教えてくれたこと
現在3度目の正直で始めた禁酒も、気づけば4ヶ月が経ちました。 まだまだ道の途中ですし、この先も油断はできません。
この記事を読んでくれているあなたも、もしかしたら過去の僕のように、何度も禁酒に挑戦しては、挫折を繰り返しているかもしれません。「自分はなんて意志が弱いんだ」と、自分を責めているかもしれません。
もしそうなら、僕から伝えたいことがあります。 失敗は、決して無駄じゃありません。あなたが転んで、膝を擦りむいた経験のすべてが、次の一歩を踏み出すための、誰にも奪うことのできない杖になります。
僕も、2度の失敗があったからこそ、今ここにいます。
あなたの朝が、後悔ではなく、穏やかな希望と共に始まりますように。 同じように、今も戦っている仲間として、心からそう願っています。