飲みニケーションが好きだった僕が、それでも断酒を選んだ理由──職場の飲み会文化を見直す

「飲みニケーションが好きだった僕が、それでも断酒を選んだ理由」
かつて僕は、職場の飲み会が好きでした。お酒を酌み交わしながら話すことで、普段より本音を言いやすくなり、上司や同僚との距離が縮まったように感じていたからです。
いわゆる“飲みニケーション”は、職場の人間関係を円滑にするための潤滑油だと本気で思っていました。
職場の盛り上がりと、翌朝の自己嫌悪
最初の乾杯からどんどん盛り上がっていくあの空気が好きだった。普段言いにくい仕事の話も、お酒の勢いでガンガン意見を言えていたし、相手も腹を割って話してくれている感じがして心地よかった。
でも──翌朝になると、決まってダルさと記憶の曖昧さに襲われる。
「昨日あんなこと言ってなかったっけ?」「相手にイヤな思いをさせてないだろうか?」
そんな後悔と不安がセットで押し寄せてきて、楽しかったはずの夜の代償は、意外と大きかった。
楽しいのは“場”か“酒”か──錯覚だった飲み会の正体
アルコールには気分を高揚させたり、理性のブレーキをゆるめる作用があります。つまり「楽しい」と感じていたのは、実は“場が楽しい”というよりも、“酔って気分が高まっていた”だけかもしれません。
冷静になって考えてみると、心の底から楽しんでいたというより、「酔ってるから楽しいと感じていた」だけ──そんな錯覚にハマっていたことに気づきました。
断酒して見えた“素の人間関係”
断酒を始めてから、飲み会の誘いを丁寧に断るようになりました。最初は勇気がいりましたが、実際に断ってみると「じゃあまた今度ね」とあっさり流されることも多くて、正直拍子抜けしました。
参加しないことで、翌朝の自己嫌悪や体のダルさから解放されたのが何より大きかった。
あの苦しさがないだけで、生活全体の快適さが全然違うんです。
義務的な飲み会文化の再考──付き合いのための酒は必要か?
「会社の飲み会だから」「先輩の誘いは断れないから」──そんな義務感で重ねた飲み会が、どれだけ自分の時間や心身に負担をかけていたか。今ならはっきりわかります。
本音で話せる関係性は、お酒に頼らなくても築けます。そして本当に大事な人間関係は、飲み会を断ったくらいで壊れません。
まとめ:僕にとって断酒は、人間関係を壊すのではなく守る選択だった
かつては「飲みニケーションが人付き合いの基本」と思っていた僕も、断酒を通じてそれが幻想だったと気づきました。
今は、お酒なしでも関係が続く人たちと、より健全な距離感で付き合えています。断酒は、僕にとって人間関係を壊すどころか、むしろ自分を守るための、そして相手と本音で向き合うための選択だったんです。