2090年「一人一宇宙」時代の未来予測|老後資金の年表を書いてたら死後の世界まで計算してしまった話

……え?なぜ資産形成カテゴリーでSF?と思われるかもしれません。
実は僕、老後資金にいくら必要になるのかを……え?なぜ資産形成カテゴリーでSF?と思われるかもしれません。
実は僕、老後資金にいくら必要になるのかを見える化するために、死亡予想時期から逆算して年表をつくっていたんです。
「死ぬ時期はは82歳ぐらいかなー…」なんて考えながら書いてたら、ついノリで「死んだ後の世界」まで書き足しちゃって……結果、未来予想のアイディアが止まらなくなりました。
将来のお金の心配をしていたはずが、気づけば人類の未来まで心配している。
そんなノリの記事ですので、肩の力を抜いて読んでいただければ幸いです。
2090年、人類は「電脳化」が一般化してから約40年を迎えます。
その先に待っていたのは、攻殻機動隊や電脳コイルを超えた「一人一宇宙」時代。
誰もがコンピューター上で完璧な宇宙を生成し、その中で神として振る舞うことができる。
しかし、万能になった人類は気づいてしまったのです。
「なんでも可能な世界ほど、退屈なものはない」ということに。
そこで新たに流行したのが──2025年バーチャルゲーム。
人類は並列思考を80億に分割し、制限と不便さに満ちた“かつての地球”に自らを送り込む遊びを始めたのです。
この記事では、そんな未来像をSF的未来予測として描きながら、今の私たちが考えるべきヒントを探っていきます。
電脳化から並列思考へ、2050年の普及とその先
電脳化(Brain-Computer Interface の完全普及)が現実のものになったのは2050年頃だといわれています。
この時代、誰もが神経とネットワークを直結し、思考の一部をクラウドや外部AIにオフロードすることが日常になっていました。
最初に普及したのは「疑似的な並列思考」でした。
会議をしながら同時にAIが別の本を要約して脳に流す、料理をしながら別人格がネット会議に出席する──こうした部分的な分身機能は、時間効率を劇的に改善しました。
やがて2060年代、実験的に「二つの意識を同時に持つ」ことが可能になります。
これは脳の処理の一部を外部シミュレーションに走らせ、終了後に記憶を統合する仕組みでした。
まだ曖昧な記憶しか戻せなかったものの、「一人が二人になる」初めての感覚を人類は体験したのです。
そして2090年──並列思考は極限に達し、一人の人間が80億の人格を同時に走らせることが可能になりました。
2090年「一人一宇宙」時代とは?
2090年、人類は「電脳化」と「並列思考」を経て、ついに一人一宇宙の時代に突入しました。
誰もがコンピューター上で完璧な宇宙を生成し、その中で神として振る舞うことができる。
しかし、万能になった人類は気づいてしまったのです。
「なんでも可能な世界ほど、退屈なものはない」ということに。ちょうどRPGゲームで強くて2週目がつまらないと思うあの感覚です。
そこで新たに流行したのが──2025年バーチャルゲーム。
人類は並列思考を80億に分割し、制限と不便さに満ちた“かつての地球”に自らを送り込む遊びを始めたのです。
流行のVRゲーム「2025年の世界」
この「一人一宇宙」時代において、もっとも人気のあるVR体験が 「2025年の世界」シミュレーションです。
仕組みはこうです。
- プレイヤーは並列人格を2025年の街に投影する。
- その中のたった一人に「本来の意識」を移す。ゲーム中は並列思考のことを記憶から消す。
- その他の並列人格は「自分なのに他人」として振る舞う。
つまり、街を歩く人々はすべて自分の分身でありながら、自分ではない。
上司も、友人も、恋人も──全員、かつての自分が演じる2025年人類なのです。
このゲームが流行する理由は明快です。
2090年の人類にとって、20世紀や21世紀初頭の「制限された意識」「不完全な記憶」「有限の時間感覚」は、もはや郷愁の対象。
人々は「一人一宇宙」の中で飽和した存在感から逃れ、あえて“不便で有限な過去”を体験することで、忘れかけた人間らしさを思い出そうとしているのです。
意識を分けることの哲学的問題
しかし、並列思考が常態化した社会には深い問題も横たわります。
- 分岐した意識は本当に自分なのか?
80億に分割された人格の一つひとつは、自分と同じ思考の仕組みを持ちます。では彼らが抱く欲望や苦悩は「自分のもの」と言えるのでしょうか? - 権利と責任の所在
並列人格が創作した芸術作品や発明は、本体のものか、分岐した人格のものか。労働や契約の責任は誰が負うのか。 - 統合されなかった意識の行方
全てを統合することは不可能であり、切り捨てられる意識も出てきます。そのとき、それは「死」と呼べるのか。
こうした問いは2090年になっても解決していません。
むしろ「一人一宇宙」の時代は、人間とは何か?という哲学を再定義する社会実験の連続だといえるでしょう。
私たちがいま想像できること
2090年の世界は、突拍子もない空想に思えるかもしれません。
けれどよく考えると、私たちはすでに「自分が複数存在する感覚」を日常的に味わっています。
- SNSで複数のアカウントを使い分ける
- AIアバターに自分の分身を作る
- ゲームで別人格として生きる
これらはすべて「並列意識のミニチュア体験」といえるのではないでしょうか。
電脳化が普及する2050年、その延長線上には確かに「自分を他人として扱う未来」が見えてきます。
2090年の「一人一宇宙」は決して荒唐無稽な夢物語ではなく、現在の延長にある未来像なのです。
まとめ
2090年、人類は「一人一宇宙」の神的存在へと到達しました。
しかし、万能は退屈をもたらし、人類はあえて「制約のある過去」へと自分を送り込む。
80億の並列人格を2025年に投影し、その中の一人として再び有限の人生を味わう。
そこで学び直すのは──努力や失敗、喜びや後悔、そして「人間らしさ」。
そして今、あなたがこの記事を読んでいるこの瞬間こそが、もしかしたらその“仮想のひとつ”なのかもしれません。

え、まって、人類の最終目的って僕が今体験しているこの世界がそうじゃん。ラッキー(^_^)v
▼影響されたであろう関連リンク